皆さんこんにちは。YUKIYOGA代表 yukikoです。
8月になりました。久留米オープンからあっという間の1ヶ月。
そんな慌ただしい1ヶ月の中で生徒さんにレッスンをさせていただく時間は本当に
幸せでした。

皆さんもこの暑い時期、どのような日常をお過ごしだったでしょうか?
ずばり!今余裕がありますか?
余裕がある人って堂々としているイメージがありますよね。
今日はそんな「余裕」について「ヨガ哲学」を用いながらお話しできたらと思っています。
何に余裕があれば私たちは幸せなの?
そもそも余裕ってなんだろう。。。
辞書でひいてみました。
余裕とは人柄や性格などに落ち着きが見られるさま、心が広い、ゆったりとした、おっとりとした様
限度いっぱいまでには余りがあること
らしいです。
率直に書きながら、わ~!いいわ~!余裕って♪と憧れちゃっている私がいます(笑)
余裕って言葉でどんなことを思い浮かべますか?
心の余裕?
お金の余裕?
時間の余裕?
どの余裕があれば私たちは辞書で書いてあるような落ち着きが見られるさま、心が広いように見えるのでしょうか?
お金があっても時間に常に追われていて余裕がないと私たちは穏やかで入れるでしょうか?
時間の余裕があっても、その時間でSNSを見ながら人と比べて自分は何もないと嘆いている時、落ち着いた様、どっしりとした様に見えているのでしょうか?
私たちにとっての余裕って何から一体生まれるのでしょうか?
そう思いませんか?
余裕は自分自身がそれをあると感じないと生まれない
世間から見ればお金の余裕があって幸せそうに見えてもその本人は時間に追われちっとも幸せでないこともあります。
結局、その余裕は「余白」で自分でその余白を自分で「良し」と認めない限り私たちは常に他人に依存し、ないないと欲しがってばかりになってしまいます
「限度までに余りがある」
とことは結果、心に頭に余白を作っていく創造的な私たちの自由度だと感じています。
日々の生活の中で感じる「豊かさ」
私たちが日々苦しむ「執着」
その執着を手放すと意外にも「しなければいけない」「こうあるべき」という時間の拘束、人との付き合い
それによって生じる「お金の浪費」なども他のものに置き換わるかもしれません。
そしてどんなにその時間やお金、心の自由、余裕さえもまた自分が「十分に満たされている」
と感じなければせっかくの努力も無駄になってしまいます。
思い込みを捨てて今の余裕な自分を楽しんでほしい
余裕についてお話をしてきましたが、私自身、もしかしたら「時間の自由」を欲することが一番多いような気がします。
しかし、それも全くできないわけではなく、自分で決めてたった5分でも10分でも自分の好きなことができた時、その充足感たるものを感じてしまいます。
「余白」は自分で作り出し、その余白で「心の余裕」を作ると持ってないものなんて何もない
持ってない、余裕がないと思っているのはもしかしたら自分の思い込み。
鏡を見て、穏やかに自分の顔を見て微笑んでほしい
その下支えになるのが私にとっての「ヨガ」です。
時間に追われていても、心がいっぱいになっていてもマットの中でヨガをした後はまたマットの外での生き方に、心の持ちように違いを感じます。

余裕がないと感じた時ほど来てほしい
余裕がない時ほど後回しになりがちな自分の時間
ヨガに行くという時間ももしかしたらその後回しになってしまいがちな時間かもしれません。
しかし、「余裕」「余白」を作るための大切な支えとなるための時間をスタジオで育んでほしいと思いながらレッスンをさせていただいています。
最終的に今日は余裕なさそうね?とかわからないくらい仏のような落ち着きのある常に全てのことを受け入れる余白がある自分を目指し、私自身も苦行(タパス)を実践していきたいと思います。
皆さんのご来店をお待ちしております。